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NEWS2018.02.24

2018.02.24 お知らせ

友人のYさん

先日、友人のYさんと久しぶりに話をした。出会って早、15年になろうか・・・
以来、お互い紆余曲折、山あり谷ありで「お互いよく無事だったなあ」という感じ。

4年前、身を切る思いで工場閉鎖を決意した。大切な仲間たちと別れを決めた。
地元の新聞に大々的にそれが載った。
勿論「好意的」な記事ではない。それを読んだのか、Yさんは一通のメールをくれた。
そのメール、心底、身に染みた。ボロボロの心に一筋の光を当ててくれた。そんなことを思い出しながら、ふと思った。

~打たれ強く生きる 城山三郎 新潮文庫より~
「晴れた日の友」
前略~中学校時代のB君から電話がかかってくると、家人が首をかしげた。
「シロヤマは居るかって。(本名ではなくわざわざペンネームを呼び捨てするって)Bさんって、よほど偉い人なの」
B君は建築事務所につとめている。そこから電話してくるとき、とくにそういう呼び方をする。
要するに、城山を呼び捨てにする関係にあるということを見せたいのであろう。
持ち上げられるのは、もっと困るが、こんな風に不当に親しくふるまわれるのも、考えてしまう。
変わらぬ友がいちばんいい。
B君は中学で同期ではあったが、クラスも違い、ほとんど付き合いはなかった。彼が親しくしてきたのは、私が作家としてデビューした後である。

つまり「晴れた日の友」である。

B君だけのことではない。
政界の実力者を囲む財界人の会なども同じで、その人が総理確実となると、会のメンバーが一気に数倍に膨れ上がる、という。鈴木健二さんの言葉を借りるなら、

「井戸を掘っているときには助けにも来てくれなかったくせに、水が出たとなると、わっと寄ってくる」

それが人情なのであろう。

~中略~

中学時代、本当に親しかった友とは、今も本名で呼びすてという付き合いをしている。
先日、そうした友人であるO君から、電話がかかってきた。わたしが新聞に書いた随筆が何だか淋しそうだ。元気か。会いに行きたいが時間がないから、電話した―――――というのだ。
電話ぎらいの私だが、この一本の電話はありがたかった。これこそ、本当の友情なのだ。
こうした友のいる限り、たとえこの世で少々の打撃を受けることがあろうと、打ちのめされてしまうこともあるまい。

持つべきものは真の友。とあらためて思った。

~抜粋 終わり~

私に「晴れの日」など、まだ無い。今も「嵐」の毎日。しかし、いつかは「晴れの日」を迎えられると信じている。

Yさんとは「誰もいない嵐の中で出会った友」と思っている。そして、出会った時に話したように「いつか一緒に仕事が出来る時」がくるのを、今も楽しみにしている。

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